1977年(昭和52年)4月15日生まれです。「4・1・5」の日=「よ・い・こ」の日です。出身地は奈良県香芝市鎌田。生まれた場所は大和高田市立病院3階産婦人科病棟(当時)でした。香芝町立五位堂保育園(当時はまだ香芝町だった)、香芝町立五位堂幼稚園、香芝町立鎌田小学校と進みました。小さいころから受験勉強をしたわけではなく、ごく普通に公立の保育園、幼稚園、小学校と進みました。小さいころから慎重派で滑舌が悪く言葉は少し遅かったようです。おねしょも多い子どもでした。幼稚園の頃はドッジボールに夢中でした。ビッグワンガムという小さなプラモデルにガムがついたおもちゃも大好きでした。カブトムシが大好きで夏になるとよく父親と弟とカブトムシを採りに山に行きました。小学校に入ると、ダイワスイミングスクール(ご存じの方もおられるかもしれません、大和高田市内にありました)で水泳を始めました。スポーツ少年団のサッカー部に入り、サッカーも好きでした。勉強は嫌いな方ではありませんでしたが、スポーツはサッカーと水泳以外はダメでした(野球、ソフトボールなどは大の苦手でした)。当時は仲のいい男子4人組で「ジョーズ」というグループを組み、いつも一緒に遊んでました。ビックリマン、ドラクエ、ミニ四駆、ファミコン、コロコロコミック・・・どれも大好きでした。

そして中学校は地元の香芝市立香芝中学校です。男子は全員丸刈り、黄色いナップサックに自転車通学では白のヘルメット、比較的校則は厳しい中学校だったと思います。中学校での思い出にはあまり良いものがありませんのでこれくらいにしておきましょう。

奈良工業高等専門学校電子制御工学科に入学しました。父が機械関係の自営業をしていましたので、その影響もあり工業系の学校を選びました。え?高専?と思われた方もいるかもしれません。そうなんです、あの頃は将来は工業系の仕事に就きたいと思っていたのです。しかし!高専2年生頃、もっと人とかかわる仕事、直接的に人の役に立ちたい仕事に就きたいとフト考えるようになり、一念発起し医学部受験に進路変更しました。高専は3年目で修了し(高専は本来5年制ですが途中で辞めたのです)、その後2年間の浪人期間を経て無事奈良医大に合格することができました。正直に言えば、中学校と同様高専でもあまり良い思い出はありませんでした、学校が嫌になり別の進路を探していた、というのも大きく進路変更した理由でしょう。

高専ではとにかくアルバイトをしました。一時期は空手部にも属し、自分なりにがんばったつもりでした。スーパーマーケットの品出し、サービスエリアでのウェイター、ソフトクリーム屋(自分で言うのも何ですが、ソフトクリームを巻かせたらピカイチと思ってます!)、スーパーの鮮魚コーナーでのうなぎの蒲焼担当(これも自分で言うのも何ですが、うなぎの蒲焼を焼かせたらピカイチですよ!)、交通量カウント、ビル清掃・・・などなどです。たかがバイト、されどバイト。組織の人間として、そして社会人としての振る舞い方の基本を学ぶことができたのは間違いありません。学校でのクラブ活動とはまた違うことを学べました。働くことの尊さ、大切さ、そしてお金の大切さ、言葉遣い、時間を守る大切さ、等々、いろいろ学ぶことができたと思っています。

そして2年の浪人生活です。ここでもアルバイトを続け、受験勉強とメリハリをつけていました。1年目は河合塾、2年目は完全に独学(Z会を中心に)でした。

これが私の奈良医大入学までの履歴書です。

家族に医療関係者がいるわけではありません。幼少時期から受験戦争を経験したわけではありません。進学校で勉強したわけではありません。

多様性に乏しいといわれる医者の世界で一味違う観点から医療を提供できれば本望です。

・・・奈良医大以降の履歴書につづく・・・